例 会 報(週報) ________________   【PDF版はコチラ】
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第880回例会  平成20年4月17日(木) nitanda 08/4/16(水) 23:25 [添付][添付]

第880回例会  平成20年4月17日(木)
 nitanda  - 08/4/16(水) 23:25 -

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   第880回例会  平成20年4月17日(木)
◎本日の例会プログラム
クラブフォーラム
○次回例会プログラム
ゲスト卓話「皇居御苑の生物」 宮本清人氏

前回(879回例会)の記録
平成20年4月10日(木)
■ビジター
 竹田RC 都築員守君
■出席報告
 会 員 数 26名
 免除者数 0名
 対象者数 26名
 本日出席者 22名
 欠席者数 4名
 出 席 率    84.62%
■前々回出席報告の修正
 前々回欠席者  4名
 メイクアップ  0名
 欠 席 者  4名
 修正出席率 84.62%→ 84.62%
●メイクアップ
 なし
●欠席者
 小野(嘉)、出納、松本、渡邉

ロータリーソング
我らの生業

会長の時間
会長 若松 定生
江戸時代、寺子屋で学ぶことの必要性について。
 江戸幕府は開府以来、通貨制度・全国の交通網の整備に注力し広域経済圏が確立した。貨幣経済が定着し商取引が活性化する。現金取引なら領収証、掛け売りなら売掛帳、貸し借りには証文をやりとりし、手形も流通した。こうなると「読み書きそろばん」が出来ないことには社会生活が成り立たない。丁稚奉公や女中奉公でも「読み書きそろばん」は最低不可欠の採用条件となり、読み書きできるかどうかは死活問題となった。そのため親は食べるものを節約してでも「学校」に通わせた。その学校は江戸の初期には「寺にある寺子屋」であったが、やがて浪人が自宅に開く寺子屋に通わせるようになる。そして18世紀後半になると農村にまで寺子屋教育が本格化し、この頃村方騒動が頻発したのは、農民達が読み書きそろばんをマスターしたので村役人の不正を見破れたことが主な原因とも言えます。このような形で寺子屋は広まっていき、江戸時代の開設数の累計は15,506教室に及びました。さて、この寺子屋での教育カリキュラム、教育メニューが現代から見ると非常にユニークで参考になります。全国では色々あると思われますが、天保年間、前橋藩の手習塾の弟子記(
.;R$N3X=,5-O?!K$,4)9T$5$l$F$"$j!";KNA$H$7$F>R2p$7$^$9!#

幹事報告
幹事 榎本 正則
●例会変更 なし
●週報受理 熊本平成RC
●会報受理 なし
●週報お礼 なし
●幹事報告
・地区ガバナーより5/17開催の地区大会の元総理・小泉純一郎氏の講演が大変難しい状況であるとの通知あり。
・ロータリーの友が届きました。
・2007年手続要覧の申し込み受付します。¥784です。
●理事会報告 例会終了後、理事・役員会を行います。

☆竹田RC創立50周年記念式典の御案内
竹田RC 都築員守会員
 5月31日12時より竹田市文化会館で開催いたします。どうぞ、御登録頂きます様お願いいたします。

委員会報告
・矢頭次年度幹事
 次年度の役員、委員会構成が出来ましたのでお知らせいたします。宜しくお願いいたします。
 次年度のクラブ協議会を5/1(木)午後7時よりオリエンタルホテルで行います。

ニコニコボックス
担当:社会奉仕委員会
○向笠会員
 金婚式のお祝いを頂き、ありがとうございます。50年間色々とありました。家内には感謝しています。4月9日は誕生日で満81歳になります。家内は喜寿のお祝いです。めでたい事ばかりです。これからも元気で生涯現役で頑張ります。
○若松会長
 先週の例会で銀婚式のお祝いを頂きましたのでありがとうございました。
○梶原会員
 今日の例会のゲストは山本博史さんです。今回で3回目になります。中津の歴史を学ぶ良い機会です。宜しくお願いいたします。
○小野会員
 先週の例会で銀婚式のお祝いを頂きましたのでありがとうございました。
○二反田会員
 ホームページの管理をしていたら週報のページの一部を削除してしまいました。PDF版は残っています。御迷惑をおかけしました。
○山本博史君(中津中央RC)
 今回で3回目の卓話になります。宜しくお願いいたします。
○永松会員
 息子が研修に行きました。息子が寄稿した原稿が出版されました。
○加来会員
 CTが新しくなり、大きい画像で見れるようになりました。次年度の役員、委員会構成の件宜しくお願いいたします。
○小川会員
 山本博史さん、今日も宜しくお願いいたします。

お祝い
・金婚式
 向笠寛会員 昭和33年4月6日 御結婚

ゲスト卓話
「中津の城下町について」
山本博史氏

○城下町の成り立ち
・天正15年(1587)7月
 黒田、中津へ12万3千石
・天正16年(1588)1月
 中津城築城着手
・慶長5年(1600)11月
 黒田、福岡へ52万石
・慶長5年(1600)12月
 細川、中津へ39万9千石
・慶長12年(1607)
 中津城竣工す、町割令
・元和6年(1620)9月
「城下の整備ようやく完了」とある
○城下町の城戸口と城内防備(詰所)
・小倉口---義氏社
・広津口---自性寺(祥雲寺)
・金谷口---六所宮・明光院
・島田口---上勢溜・三役所
・蛎瀬口---下勢溜・観音堂
・大塚口---堀
・寺町
○初期の町屋14町
 諸町・新魚町・京町・姫路町・新博多町・古博多町・米町・古魚町・船町・塩町・桜町・豊後町・堀川町・角木町
○寺町(12ケ寺)の成り立ち
・黒田以前 安隨寺・地蔵院
・黒田時代 合元寺・大法寺・円応寺・西蓮寺
・細川時代 普門院・宝蓮坊・本伝寺
・小笠原時代 円龍寺・浄安寺
・奥平時代 松巌寺
○読み方が難しい町
 餌指町、水主町、闇無町
○変わった呼び名の町
 鷹部屋、出小屋、江三竹町
○金谷について
 細川忠興、大家川を止めんとして宮永村より上小路の地にわたって堤防を築くことになり、上小路内に本陣を設け、金屏風を連ねて黄帷を脹り、朝から夕方まで工事の陣頭指揮をとった。金屏風が朝日に輝き、夕日に黄帷が映えたのをみて「金屋の茶屋」と呼んだ。これより、この地を金屋と云い、後に金谷と改めた。

(文責:田原)

添付画像
【中津城~1.jpg : 46.8KB】

添付画像
【源平.jpg : 9.8KB】
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