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第572回例会 平成13年9月20日(木)
◎本日の例会プログラム 会員卓話「インターネットで見るRC」 二反田新一幹事
○次回例会プログラム 9月29日(土) 18:30〜 観月例会 マリンパークにて
前回(571回例会)の記録 平成13年9月13日(木)
■ビジター
中津RC 中野 登君
三木RC 三宅實治君
■出席報告
会員数 34名
免除者数 0名
対象者数 34名
本日出席者 28名
欠席者数 6名
出席率 82.35%
■前々回出席報告の修正
前々回欠席者 8名
メイクアップ 3名
欠 席 者 5名
修正出席率 76.47%→85.29%
●メイクアップ
梶原、永松(孝) (中津中央RC)
重松(中津RC)
●欠席者
青木、合田、小野、田原、南
会長の時間
久恒眞一 会長
皆さんこんにちは。先日、中津市交通安全都市推進協議会が開催され資料を送ってきました。「秋の交通安全週間」が9月21日より9月30日まで実施されます。県下一斉街頭キャンペーンとして9月21日早朝にシートベルト、チャイルドシート着用強化指導、9月28日夕刻に、早めのライト点灯指導、高齢者の保護誘導活動が行われます。車社会の中で事故が多発しております。交通安全を心がけましょう。
国際ロータリーよりロータリークラブ会員身分の種類に関して情報誌を送ってきました。内容は以下の通りです。「全てのアディショナル正会員、パストサービス会員およびシニア・アクチブ会員は正会員となる。会員が50名以下のクラブは、1つの職業分類の下に、5名を上限とする正会員を持つことができる。」
11日夜、テロ行為によりアメリカの国際貿易センタービル及びペンタゴンの爆破が行われました。テレビでも眼を覆うような惨状が終日放映され、皆さん方もテレビに釘付けになったのではないかと思います。今回のテロ行為は、どんな理由をつけようと絶対に許すことの出来ない悪魔の仕業だと言わざるをえません。決然と対処することが大事であると思います。ブラウン管に次々と映し出される眼を覆うような悲惨な光景に言葉を失ってしまいました。このような事件のときに良く言われる事は危機管理の重要性です。日本もいつこの様な事態に見舞われるかわかりません。国内におけるテロ対策をこの際、再点検して早急に危機管理対策を確立する必要があると思います。貿易センタービルには日本企業も銀行を始めたくさんの企業が入っていたようで、日本人を含めたくさんの犠牲になられた方々のご冥福と、行方不明になっている方々の一日も早い救出を祈りたいと思います。これで会長の時間を終わります。
幹事報告
二反田新一 幹事
・例会変更
中津RC 9/26(水)は18:30〜本耶馬渓伊東医院の別荘
豊前RC 9/27(木)・10/4(木)・11(木)は豊前地域職業訓練センター1階
別府中央RC 9/25(火)18:30〜竹ノ井ホテル
・週報御礼 岸パストガバナー
・ロータリアン9月号
・週報受理
八代RC、仙台平成RC、熊本平成RC、本渡RC、本渡中央RC
・認証状伝達式案内
◆東京 広尾RC 10/18(木)
◆会長が外国の方で、幹事が女性。会員のほとんどが二ヶ国語を。
・別府ローターアクトクラブ 30周年の案内
◎情報
RCの会員身分が、正会員と名誉会員の二種類に改定されました。(7/1)
アディショナル正会員、シニア・アクチブ会員、パスト・サービス会員は、正会員となります。
ニコニコボックス
○合田会員 欠席しました。
○向笠会員 ロータリーの友に向笠公園を清掃した折りの写真が載りました。
○久恒会員 ロータリーの友に我がクラブが掲載されたのは二回目でしょうか。
○矢頭会員 ゴルフ会員権を購入しました。今メンバー申請をしております。
○松本会員 卓話をします。
会員卓話
「趣味の話」
松本幹夫会員
こんにちは、会員の松本です。卓話も5回目で正直な話、何を話そうかと困ってしまいます。火曜日の新聞に今週のロータリーという記事が出るそうですが、短大に行ってる娘が今週見まして、「お父さんロータリーで趣味の話をするというけど、麻雀とパチンコとカラオケぐらいしかないのにそんな話していいの。」と言われました。その話をしたらロータリーだからそんな話がいいんだと言ってくれる会員もいました。そんなことで趣味の話と言っても支離滅裂になるかもしれませんが、今日は、こんな私の若かりしころの純粋だった一生懸命な時代の話をします。
知ってる人もいると思いますが私は喘息持ちで、小さいときは相当親に苦労をかけています。たまたま隣の家が西郡医院で、先生がわたしの幹夫という名前も付けてくれたり、それこそ親戚のようなつきあいをしてました。夜中でも注射をしてもらったり、中学の間に何百本打ってもらったかわからないくらい。喘息の発作がないときにはとっても元気で、屋根の上に登って近所の屋根の瓦を何枚も割ったりですね。それが喘息が出ると本当に激しくて、小学校の遠足は新田の浜に行ってましたが、ひょっとして喘息の発作が出たらと、小学校5年生にもなって、遠足にお袋がついて来たりしました。それで喘息には転地療法がいいといわれました。前にも親父の話をしましたが、親父はずっと役人でそれも税務畑を歩いて来たんですが、突然、保育園を始めたわけです。家の親父は賭け事も一切しない、趣味は将棋と碁だけ、少し釣りもしますが、養子なんですが、それがお酒を飲むと本性が出るんですね。そうゆう親父を見てきました。小学校のころ、校庭で遊んで真っ暗になって帰ってくる。すると親父がいないので、お袋に聞くと飲み会に行って遅くなるらしいと言う、それを聞くと子供ながらに仏壇前に行って手を合わせて、「どうか今日は父ちゃんがおとなしく寝ますように。」とお願いをしてました。だから、あんな親父のようにはなりたくないと思っていました。
その親父がニューモラルというのを勉強するようになりまして、本当に人が変わったようになりました。僕が中学3年生の時、突然、高校のパンフレットを持ってきて、「おまえはこの高校に行け。」と言うんです。千葉県の柏市のニューモラルの学校だったんですが、喘息もあるし、そこに行けと。それがだめなら、岐阜県の瑞浪に分校があるからそっちに行けと。山の上ですよ八面山の上みたいなところです。どちらも全寮制です。あれが男女共学じゃなかったら行かなかったと思いますが。どうしてそんな所の高校に行かなならんのかと思いましたが、そのころ本当に親父が変わりましたからね、友達と地元の高校に行くように約束してたんですが、麗澤瑞浪高校というところに行くことにしました。そこで三年間寮生活を送ったんですが、不思議と喘息の発作も軽いのが一回だけで過ごせました。
高校の二年の時に親父が保育園を始めたんですが、私は長男ですから、保育園を継がねばならんと言うんです。高校を出てこれから何を勉強しようかなと考えたとき、信じられないでしょうが私は小さいときから絵を描くのが好きで〜大阪芸大に行った女房の弟が、私の絵を見て感動したくらいですから〜それで東京の美大に行ったんです。しかし残念ながら1年の終わりに挫折しまして、そこが私の人生の躓きだったんですが。デザイン科だったんですが、よくあるモデルの裸婦を描くとかそこまでいってないわけです。基礎ばかりやらされて、たとえば大きなケント紙に縦横十個にマスをきちんと書かされて白と黒だけで50色作って塗ったり。中津の田舎から出てきて、瑞浪と言うところはもっと田舎でほんとに八面山の上のようなところで、その時に覚えたのが麻雀なんです。賭麻雀ではなくてゲームとしてするんです。何人かの人はわかると思いますが本当に僕は麻雀が強いです。精神が違いますから。高校の時からやってますし、お小遣いが少なかったですから。東京に行ったらびっくりしましてね。こんな世界があるんだと。学校に行くよりも遊んでる方がいいわけですよ。昭和40年頃ですが、例えば女の子も一杯いるし、きれいな人が。それで挫折しまして、親父に電話したのを覚えています。19か20のことです。僕はお調子者ですから、「絵の勉強もいいけど保育園は子供を預かるんだし、親父さんのやっているニューモラルの心遣いの勉強をやったほうがずっとこれからの人生に役立つんじゃないか。」と言ったんです。苦し紛れにそう言って電話したんです。とても単位が取れそうにないからなんて言えません。それで、ニューモラルの千葉の柏の広池学園というところに研修生として入ったんです。
そこに、高校生の時は同じ釜の飯を食って寮生活した仲間が、大学生になっているんです。面接に行ったとき、たのむから食堂の係りだけはやりたくないと思っていました。そしたら人事課長が、「松本君よく来たね、明日から食堂の方で頑張ってくれたまえ。」と。びっくりしました。かっこつけて親父に嘘ついたのが悪かったんだなと、反省しました。みなさんもわかると思いますが、同じ高校で寮生活した同級生がドイツ語か何かの本を持って食堂に食べにくる、僕は奥の方で長靴はいて白衣着てご飯を炊いてるんですからね。ご飯炊きばかりさせられました。こんな大きな炊管に米と水を入れて、コンベアに乗せると、箱の中を通って出てきたら飯が炊けてるんです。米を研ぐのも30キロ入った袋を10袋もザーと入れると、上の方にあがってタンクに入り自動的に機械で研ぐんです。こっちから米を入れるとそっちから水をジャーと入れる。目盛りがありますから、カッコつけて指で見たりするんですが、手で計る必要なんてないんです。後はガスにパイロットランプでこちらから火をつければ、一番端から向こうまでダダダーッと火がついていくんです。その中を通って反対から出てきたら炊けてるんです。ただそれだけです。
でもある時、ひどい失敗をしました。申し訳ないけど1つで百人分位あるのを4つ、こっそり残飯に捨てたことがあります。その日の夜に喘息が出たんです。いつもと同じことをしてるのにどうして失敗したのか。その後に分かったんですけど、自分が不平の気持ちで一杯だったんです。同級生が食事に来てるでしょ、こっちは汗だくになって白衣着てご飯を炊いているでしょ。それに前日に同級生と言い争いをしたんですよ、カッカしてですね。自分より成績の悪かった奴だったもんでね、だから歯がゆいんですよ。それでカッカして、ご飯を失敗したんです。後で分かったことですが、心遣いが全然違ってたんです。よく料理人が言うじゃないですか、料理はおいしい食材と立派な器も大事だけれど心が一番大事と。いやーと思ってました。そのころ王貞治さんが、ホームランを打つのは技術や努力やバットのできなどもあるけれど、心眼というか、心で打つんだと言ってたのを聞いたんです。それだけ心遣いというのは大事だなと思うんです。それでその夜、喘息の発作が出たんです。その頃は若かったので、喘息が出て周りの人が心配するくらい呼吸が苦しくても自分が死ぬんじゃないかとか考えたことも無かったです。喘息で死にそうと思ったのは3年くらい前の入院したときで。いくら注射しても症状が良くならない、学校には病院があり、医者もナースもいて入院もできるわけですが、二日ぐらいしても少しも良くならない。食堂課長の先生が、中津の親父まで電話したそうなんです。僕がこう苦しんでるときに、実は、これで親父が迎えに来てくれてしばらく中津でゆっくりできるなぐらいしか考えてなかったですから。課長が枕元に来て、「松本君。家に電話したらお父さん迎えにくると言わなかったぞ。」と言うんです。「そちらに預けてるんですからこのまま死んでしまってもかまわん、うちの息子がまだまだこれから世の中のお役に立つようだったら自分で元気になりますよ。」と言ったと言うんです。無茶苦茶ですね。で、自分の行き場が無くなった気がして、学園の神殿に暗い一人で反省する部屋があるんですが、そこに先輩に担がれて入りました。苦しいながらずっと正座をしていたら、不思議にすーっとして喘息がおさまったんです。後でうちのお袋が教えてくれたんですが、親父はああ言っておきながら、飯も食べずにずーっと仏様の前で幹夫を助けて下さいって言ってたと。ほんと涙が出ました。この親父には逆らえんなと。うちの親父は本当に曲がったことが嫌いで、一円でも計算が合わないと一晩中でも間違いを探すような見つけるまでやるような、賭け事もしないし。
そういうことで、心遣いというのは本当に初心に返って。よく、言うは易し行うは難しって言うけど、今は便利になって言うは易く行うも易くですが、心遣い極めて難しだと教わっているんです。ギュウギュウ詰めの都会の電車で、お年寄りに席を譲ることってあるじゃないですか。僕も経験があるんですが、友達と座っていて、前に背の曲がったお年寄りが来ると、「あ、寝たふりしようか。」とか思うでしょ、それから、俺が変わるしかないなと思うわけですよ、周りを見回すと一番俺が若いようだとか。心の中では、「あーあ、ばばーがきたから俺が立たなならん。まだ40分もかかるのに。」とか思いながら、顔は笑って「おばあさんどうぞ。」とかするんです。周りの人は、あの青年はいい人だなとか思ってくれるんですよ。でも、決して良くないんです、心の中は反対なんですから。それじゃあいけませんということなんです。「これから初心に返って、パチンコしよう。いいよね負けても。誰か負ける人がおらんと。」と、そういう気持ちになると、勝つかもしれないとか、欲があったらだめなんですね。
自我を捨てて、本当に心から思いやりのある人間になりたいと思います。ありがとうございました。
(文責/重松)
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