例 会 報(週報) ________________   【PDF版はコチラ】
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第721回例会 平成16年11月11日(木) nitanda 04/11/16(火) 23:14

第721回例会 平成16年11月11日(木)
 nitanda  - 04/11/16(火) 23:14 -

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   第721回例会 平成16年11月11日(木)

◎本日の例会プログラム    ゲスト卓話
        新世代奉仕委員会 土居孝信委員長

    ○次回例会プログラム    ゲスト卓話「バングラディッシュ図書館建設」
        中家章智会長

前回(720回例会)の記録 平成16年11月4日(木)

■ビジター
 なし

■出席報告
 会員数    31名
 免除者数    0名
 対象者数    31名
 本日出席者    27名
 欠席者数    4名
 出席率        87.1%

■前々回出席報告の修正
 前々回欠席者    09名
 メイクアップ    05名
 欠 席 者    04名
 修正出席率 70.97%→87.1%

●メイクアップ
 安部、永松(孝)(中津中央RC)、 
 永松(達)(中津RC)
 二反田、渡辺(仙台平成RC)

●欠席者
 

ロータリーソング

君が代、奉仕の理想

会長の時間

会長  白石 耕三
 アメリカ大統領選挙では共和党のブッシュ大統領が    再選されました。日本政府は継続を歓迎しています。今後の日米友好関係をいかにするかと思います。    
 さて、先日の2日(火)に福沢諭吉先生の新一万円札の祝賀会に行って来ました。中津市の活性化のため、ありがたいことです。
 11月に入り、大貞薦神社の菊花展も始まりました。
 地区大会もあります。みんなで楽しくやりましょう。

幹事報告

幹事 田原 和己
●例会変更
大分中央RC、大分南RC、大分1985RC
豊前西RC→11/19(金)の例会は12:30よりしいだアグリパークにて。
豊前RC→11/18(木)の例会は18:30より築上館にて。
中津中央RC→11/23(火)の例会は法定休日により休会です。
●週報受理
本渡RC、八代RC、宇佐RC、仙台平成RC、宇佐八幡RC
●幹事報告
1.工藤ガバナーよりガバナー公式訪問のお礼が届いています。
2.大貞八幡菊花展の御案内が届いています。
3.中津ベンチャークラブの土生会長よりお礼状が届いています。
4.台風23号、新潟中越地震の義援金をお願いします。今回と次回の例会でお願いします。
5.仙台平成RCより姉妹交流のお礼が届いています。

委員会報告

雑誌広報委員会 二反田委員長
 「ロータリー100周年を祝おう」ということで、『ロータリーの友』に歴史が連載されていますので見てください。

ニコニコボックス
        
担当 雑誌広報委員会
○岡野会員 フォーラムで意見をよろしく。
○白石会長 3クラブゴルフ大会でよろしくお願いします。
○田原会員 姉妹交流のおみやげが着きましたので。
○二反田会員 ニコニコありがとうございました。

クラブフォーラム

中津平成RC「ロータリー誕生100周年」
記念行事について
行事案
本年度のRIのテーマに沿う企画であること
中津平成RC 特別委員会 
岡野重信委員長
実施時期 遅くとも平成17年5月まで。
予算 原則会員拠出もしくはイベント収入による拠出。ただし、行事の内容によっては積立金規約3条による積立金から一部または全部の補助を理事会に申請する。
労力 全会員の協力による。
会員の提案をお願いするための参考例
*周年行事類似の何らかの企画。ただし、時間的な制約を考慮。
*大新田海岸松原の清掃と打ち上げの祝賀例会(夜間)。
*職業奉仕についての経験や工夫に基づいたレポートを、全会員から提出してもらい、文集「私の職業奉仕」(仮題)を作成し、当地区の全クラブに配布する。
*清浄園の協力を頂いて、学年末または新学期の時期に何らかの行事を企画し、もしくは企画された行事に参加する。
*親睦を深めるため、三火会と合同しての日帰り旅行会。
*中津・下毛地区内の環境保護その他社会的に有意義な活動を継続して行っている団体の行事に参加し、もしくは何らかの方法で支援する。
  該当団体の参考例
*単なる祝賀例会もしくは他の企画と組み合わせた祝賀例会。
*その他奮ってご提案ください。


ロータリー100周年

ロータリー財団の始まり
一人のロータリアンの夢が現実に
ロータリーの父
 ロータリー財団の始まりといえば、アーチC.クランフを思い出される方も多いでしょう。彼がどのような経歴の持ち主かご存じですか?『奉仕の一世紀 国際ロータリー物語』には、
 その男、アーチ・クランフは驚くべき人物だった。1869年にペンシルベニア州カヌートビルの貧しい家庭に生まれ、まだ幼少の頃、両親と2人の兄はオハイオ州クリーブランドに移住した。家計の足しにするために、12歳で学校を辞めて仕事に就いた。16歳の時、クヤホガ材木会社の使い走りになった。自分の考えで夜間学校に入学し、1日の大変な仕事の後、電車賃を節約するために、片道4マイルの距離を歩いて学校に通った。
 会社の経営が危なくなった時、クヤホガ材木会社はクランフをマネージャーに昇格した。彼は会社の経営を好転させ、米国中西部の材木業界で最も収益性の高い企業の1つにまで発展させた。独学の元使い走りの少年はその後、同社を購入し、さらに銀行や汽船会社など、数々の企業の社長や副社長に就任した。
 18歳のとき、クランフはフルートの演奏を独学で学んだ。3年後、フルートの名手となった彼はクリーブランド・シンフォニー・オーケストラのフルート演奏家となり、その後14年間シンフォニーで演奏を続けた。
 1911年「材木―卸売ならびに小売」の職業分類でクリーブランド・ロータリー・クラブの創立会員となったクランフは、ロータリーでも事業や私生活におけるのと同じ素晴らしい業績の道をたどった。1912年にはクラブ会長になり、1916-17年度国際ロータリー・クラブ連合会会長になった。
と、彼の生い立ちについて書かれています。
始まりは2ドル50セント
 1917年、アーチ・クランフはアメリカ・ジョージア州アトランタで開催された国際大会で、「ロータリーが基金をつくり、全世界的な規模で、慈善、教育、その他、社会奉仕の分野で、何かよいことをしようではないか」と提案しましたが、その背景には、彼の生い立ちが影響していたのかもしれません。
 彼の提案は、同大会で採択されました。ロータリー基金(ロータリー財団の前進)への最初の寄付は、1917年、ミズーリ州カンザスシティーロータリークラブからの、26ドル50セントでした。今日のレートで計算すると、3,000円と少しというところですが、今から約90年前のことです。現在の物価に換算するとどのくらいの金額になるのでしょうか。アメリカと日本の違いもあり、単純に換算することは難しいのですが、私たちが単純に考えているよりは、はるかに多い金額だったのかもしれません。
初めはゆっくりと
 さて、今日、世界中で大きな貢献をし、重要な役割を果たしているロータリー財団が、はじめから順風満帆(じゅんぷうまんぱん)であったかというと、決してそうではなかったようです。
 続く数年間、クランフは一人芝居をしているように感じたに違いない。彼は人気も高く、尊敬された指導者であり、ロータリー基金が新しいロータリー・クラブの設立や人道的救援の役に立つという彼の提案は好意的に受けとめられていた。しかし、6年が経っても基金の残高はやっと米貨700ドルに達したに過ぎなかった。
と、前出の『奉仕の一世紀 国際ロータリー物語』に著されています。
 生みの苦しみを味わっていたこの基金も、基金総額が5,739ドル7セントに達した1928年のミネアポリス国際大会で、この基金による事業開始の時がきたとして、基金の名称をロータリー財団と改め、国際ロータリー定款・細則も改定されました。
 この変更で、すべて元RI会長で構成される管理委員会が新しい財団を運営し、資金は国際ロータリーと別に管理することが規定されました。ロータリアンの善意で集まったお金が最初に使われたのは、その少し後のことです。前出の本によれば、
 1929年の株価暴落後、さまざまな慈善活動に対する寄付金が枯渇するようになった。ポール・ハリスが、ロータリー財団に最初の拠出を要請したのはその時であった。財団は、オハイオ州エリリアのロータリアン、エドガーF.「ダディー」アレンの発案で1919年に活動を開始したInternational Society for Crippled Children(国際障害児協会)のために500ドルの小切手を送った。
とあります。
ロータリーの創始者の偉業に敬意を表す
 ロータリー財団の発展の礎となったのは、ロータリーの創始者ポール・ハリスの偉大な業績に敬意を表し、その死を悼むロータリアンたちの思いでした。『ロータリアン必携(1995年)』の『ロータリー財団』には、
 1947年1月27日に、ポール・ハリスがイリノイ州シカゴの自宅で亡くなりました。70か国以上30万人以上のロータリアンがロータリーの創始者の死を悼みました。しかし、ポール・ハリスの死は、財団の転換点になりました。(中略)
 ポールの逝去で、寄付が国際ロータリーに相次いで寄せられるようになりました。財団はポール・ハリス記念基金を設け、ポールに敬意を表したいロータリアンに対して、財団強化のために寄付するよう要請しました。その反響は素晴らしいものでした。翌年の7月までに、米貨130万ドル以上が寄付され、永年の目標である200万ドルの寄付が射程距離に入ってきました。
 1947年には最初の財団プログラムが実現されました。それは、高等研究奨学金と呼ばれるもので、1年目は、米国、ベルギー、英国、フランス、メキシコ、中国の18人の若い人たちが選ばれ、他国でそれぞれの専門分野を勉学しました。当時は、この人たちはポール・ハリス・フェローと呼ばれていましたが、最初の国際親善奨学生でした。
とあります。その後、教育プログラムに、人道的プログラムに、このロータリー財団は貢献しています。
花が開き実を結んだ
 このシリーズの引用に度々登場する『奉仕の一世紀 国際ロータリー物語』には、「希望の財団」として、ロータリー財団に1章を取っています。そして、その結びには、次のように書かれています。
 ロータリー財団が、これほど効果的なのは、資金と人を組み合わせるからである。アーチ・クランフはこのように述べている。
「金だけでは、大したことはできない。
個人の奉仕は、金がなければ無力である。
この2つが組み合わされば、文明への天の恵みとなることができる。」
 ポール・ハリスは1934年にクランフに出した手紙にこう書いている。「私たちは、あなたがこの運動に何年も注いできた努力以外に、おそらくこれといった努力をすることなく、いつか、突然、自分たちが何か非常に重要なものになっているのに気づくような気がする。」
 ロータリー財団への支援が世界的ではなかったときに書かれたこの言葉は、先見的であった。クランフは1951年に亡くなったが、彼が大事にしたロータリー財団はすでに確かな現実になり始めていた。しかし、自分のビジョンについて最も楽観的だった日のアーチ・クランフ自身でさえ、「小さなひらめき」と彼が呼んだアイディアがこれほどの力を持つと想像したであろうか?
 ロータリー財団は、多くのロータリアンによって、大きく花開くことになりました。特に、日本のロータリアンの果たす役割は、ロータリー財団の大きな支えになっています。ロータリー財団に寄付をするとき、ロータリー財団の資金を使ってさまざまな奉仕活動をするとき、アーチ・クランフの「小さなひらめき」が、その第一歩であったことを思い出してください。
引用文献『奉仕の一世紀 国際ロータリー物語』
    『ロータリアン必携(1995年)』

(文責/青木)

アーチ・クランフがロータリーの基金について語った、
1917年のアトランタ国際大会に出席した人々
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