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第802回例会 平成18年8月10日(木)
◎本日の例会プログラム
会員卓話「歯周病について」 加来会員
○次回例会プログラム
委員会卓話 新世代奉仕委員会 松岡委員長
前回(801回例会)の記録 平成18年8月3日(木)
■ビジター
福山RC 澁谷 誠君
中津中央RC 高橋紀男君
江藤直勝君
■出席報告
会 員 数 26名
免除者数 1名
対象者数 25名
本日出席者 17名
欠席者数 8名
出 席 率 68.00%
■前々回出席報告の修正
前々回欠席者 5名
メイクアップ 2名
欠 席 者 3名
修正出席率 80.00%→ 88.00%
●メイクアップ
岡野、松岡(中津中央RC)
●欠席者
土居、小野、渡辺
ロータリーソング
君が代、奉仕の理想
会長の時間
会長 松本 幹夫
梅雨明けとともに毎日暑い日が続いていますが、皆様どうか体に十分に気をつけていただきたいと思います。
昨日は私にとって嬉しいニュースがありました。私の尊敬するソフトバンク・ホークスの王監督が胃の全摘出手術を受けて入院していましたが、無事に退院しました。それからWBA世界ライトフライ級タイトルマッチがありました。人気者の亀田興毅選手がチャンピオンになりましたが、微妙な判定に私も複雑な気持ちですが…皆様はどう思われますか。
さて、8月は会員増強及び拡大月間になっています。大変厳しい時期ではありますが、私も努力しますが、皆様もよろしくお願いします。それと、新世代委員会の事業として8月27日日曜に清浄園との交流会があります。会員率先して参加をお願いします。最後に、本日は中津消防署の方がお見えです。後ほどAED(自動体外除細動器)についてお話をしていただきます。
幹事報告
幹事 青木 秀暢
●例会変更 国東RC 8/23「夜間例会」、佐伯 RC8/23を8/24に変更「夜間例会」、大分RC・大分東RC・大分臨海RC・大分1985RC・大分城西RCが変更、日出RC変更、宇佐八幡RC変更
●週報受理 津久見RC、加古川平成RC
●会報受理 ロータリアン
●幹事報告
1.初盆 加来会員、土居会員
2.渡辺会員「ポールハリスフェロー」のメダル が届いています。
委員会報告
IT広報委員会 出納委員長
「ロータリーの友8月号」の解説をしていただきました。
会報委員会 若松会員
本日配布の週報にミスがありました。申し訳ありませんでした。また、次号の週報から紙面の魅力アップに会員エッセイを連載します。初回は岡野会員「枝折り」です。ご期待下さい。
ニコニコボックス
担当:会員増強委員会
○梶原会員(中津祇園保存協議会議長)
心配していました雨も上がり、祇園の期間中は好天続きで、お蔭様で大盛況の内に終了しました。ご協力ありがとうございました。
○若松会員
週報ミスのお詫び。祇園の間は町内が年番で、おみくじ売りを2日間みっちりしました。おかげ様で超能力がついたようです。
○加来会員
病院を増築し、屋上を整備したので、職員とバーベキューを食べながら花火大会を見物し、非常に爽快でした。
○梶屋会員
福山RCの澁谷さん、ようこそ遠方よりいらっしゃいました。
○澁谷君(福山RC)
ベッセルの澁谷です。ここ数日の滞在で中津の魅力を再認識しました。
ゲスト卓話
「AED(自動体外除細動器)について」
中津消防署 救急係 末広勝己氏
I.AED到着までの心肺蘇生法
1.意識を調べる
2.助けを呼ぶ ?119番とAEDの手配?
3.気道の確保
4.呼吸を調べる
5.人工呼吸
6.循環のサインの確認
7.心臓マッサージ
8.心肺蘇生法の実施
II.AED到着後の手順
9.AEDの電源を入れる
10.電極パッドを貼る
11.心電図の解析をする
12.電気ショックの指示で除細動を行う
13.除細動(電気ショック)不要の指示が 出たら循環のサインの有無を確認する
(文責:若松)
会員エッセイ
枝折り(一)
岡野重信
山路を歩いたとき、通った道の目印に木の枝などを折っておくことを枝折りといいます。会報委員会から、会員のリレー式連載として、各会員(おそらく年寄りだけ)の半生の自伝的な原稿の依頼がありました。
会報委員の方々が、原稿集めに苦労しておられることは重々承知しておりますので、あとに続く寄稿者があることを信じて、物笑いの種を提供することにいたします。
題の「枝折り」は、私のこれまでの人生で、自分なりにひとつの節目になったような思い出を述べるという意味です。
1 私は昭和4年、北九州の若松で生まれました。家族は、祖父母・父母・きょうだい3人でした。第1回目は、祖父の話です。祖父は、明治3年、豊前八屋の産で、私が小学校の頃はもう60歳台後半でした。名は林治。正規の教育を受けたことはなく、自分でも寺子屋に行ったといっておりましたが、立派な毛筆の字を書いていました。それだけではなく、独学で機械工学の勉強をして、筑豊の大手炭坑の技手となり、子供(つまり私の父)を旧制専門学校(現在大学)にやり、自分は定年まで勤めたのち、若松に定住したと聞いております。技術屋だけに手先も器用で、私は、祖父が柱時計の分解掃除などをしていたのを、しばしば見た記憶があります。今でも、我が家には、祖父手製の錫の茶筒があります。このように書くと良いことずくめの人格者のようですが、必ずしもそうではなく、たいへん酒好きでした。体格もよいほうで、柔術などもやっており、若いとき、酒に酔って巡査を投げ飛ばして逃げてきたという話も聞いたことがあります。
2 その祖父が、跡取り息子ということで、私をたいへん可愛がってくれました。おそらく、妹や弟は差別されたと思います。私は、子供の頃は虚弱児だったそうで、それだけに一層かわいそうにおもってくれたのかも知れません。私は、祖父から特に叱られたり注意されたりした記憶がなく、ひとつだけ覚えていることといえば「風呂にはいったときは、手足の指と指の間をよく洗え。」ということだけでした。祖父は、72歳で亡くなりましたが、祖父よりも年寄りとなった孫は、いまでも風呂場で祖父の言葉を思い出しながら指と指の間を洗っております。父は、もちろんこのような祖父の私に対する態度には批判的でした。まだ、私が小学校4年生くらいの頃のことです。私が、ふと夜中に目を覚ましますと、となりの部屋で、遅く帰ってきた父と祖父が一杯呑んでいるようでした。狭い家ですから、よく話が聞こえます。父が「祖父ちゃん、重信をあまり甘やかしなさんな。」と言っておりました。すると祖父の声で「なあに。あれはお前の小さいときに較べるとずいぶんましだ。」と聞こえました。そのときの衝撃というか、嬉しさというか、天にも昇るような気持ちでした。「いつもやかましく怒る親父も、子供のころは俺より悪かったのだ。」というわけです。このとき以後、私は父から怒られてもあまり気にならなくなりました。私が祖父を徳としている所以です。
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