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第632回例会 平成14年12月5日(木)
◎本日の例会プログラム ゲスト卓話「市民課の業務について」
中津市役所 三股洋一氏
○次回例会プログラム クラブ総会
前回(631回例会)の記録 平成14年11月28日(木)
■ビジター
中津RC 佐藤正直君、江副綏人君
中津RC 若松舜児君
中津中央RC 多田一三君
■出席報告
会員数 34名
免除者数 0名
対象者数 34名
本日出席者 21名
欠席者数 13名
出席率 61.76%
■前々回出席報告の修正
前々回欠席者 17名
メイクアップ 04名
欠 席 者 03名
修正出席率 80.0%→91.18%
●メイクアップ
池中、重松、梶屋、向笠
(中津中央RC)
●欠席者
下村、渡辺、種村
会長の時間
梶原清二 会長
先週の日曜日大相撲の千秋楽、横綱不在の中、モンゴル出身の朝青龍が優勝しました。
会場にはご両親がいて起立して皆さんに挨拶をし、万雷の拍手を受けました。
翌日のテレビ出演で「両親の見ている前で優勝できて嬉しい、親孝行が出来た」と語っていました。何かとても清清しい気持ちがしました。今の日本人の若者からは、なかなか聞けない言葉ではないでしょうか。又、彼のしゃべる日本語ですが、全く日本人がしゃべる日本語でした。欧米人のそれとは違っていました。日本人と顔も似てるし、赤ちゃんの蒙古斑のことなど考えると我々の祖先は蒙古からやって来たというのは確かではないのかなと思ってしまいしました。
さて、今月はロータリー財団月間です。1905年ロータリークラブ創立から12年度の1917年、ジョージア州アトランタに於ける国際大会で「全世界的な規模で、慈善、教育、その他社会奉仕でより良いことをする為の基金を作ろう」と提案したことに始まり、1928年にロータリー財団と名づけられました。1947年、ロータリーの創立者ポール・ハリスが逝去した際、全世界のロータリアンが創立者を悼み、ロータリー財団に多額の寄付をし、その基金をもとに最初の国際親善奨学金プログラムを実現させ、当時7カ国から選ばれた18名の奨学生に奨学金が授与されました。以来この奨学金プログラムは増大強化され、現在、3万人を越える元奨学生が全世界で活躍、国際理解と平和に貢献しています。
又、国際ロータリー及びロータリー財団の最大の奉仕活動であるポリオプラスプログラムは1985年以来着々と成果をあげ、全世界のポリオ発生件数を99%迄低下させる事に成功し、2005年のロータリー100周年には全世界からポリオを撲滅させることが当面の最重要課題となっています。
後程、ご紹介があると思いますが、今日はゲストにロータリー財団学友会員、大分合同新聞社有田円香氏をお迎えして居ります。卓話を楽しみにしています。
幹事報告
若松定生 幹事
●例会変更
大分地区4クラブより
杵築RC、豊後高田RC、宇佐RCより
回覧します。
●週報受理 杵築RC、豊前西RC
●幹事報告
○例会終了後、来週の地区大会参加者・宿泊者集合
ニコニコボックス
○梶原会長 先々週、姉妹クラブ交流で加古川・丹波篠山に行ってまいりました。大変な田舎でしたが、空気やもみじ等の紅葉がとてもきれいで、すばらしいひとときを過ごす事が出来ました。委員会の皆さんほんとにご苦労様でした。
○岩淵会員 今月はロータリー財団月間として、財団の元奨学生である有田円香氏を卓話の講師にお招きしたところ、快く応じてくれました。本当にありがとうございました。
○若松幹事 先々週、同じく姉妹交流に参加いたしまして、非常に楽しい1泊2日をすごしてきました。その中で長年疑問に思っていた「でんかしょ節」についてかなり詳しく、沢山の資料を集めてきました。
○白石会員 丹波篠山お世話になりました。本日は早退させて頂きます。
○二反田会員 同じく丹波篠山に行ってきました。豆、栗、猪と食べましてお腹をこわしてしまいました。12月8日の夜、むろや醤油で私も参加している「かきのたね」というグループでピアノトリオによるジャズコンサートを開きます。チケットが5枚有りますので希望者は私に申し出てください。
○永松(達)会員 姉妹交流に参加できなくて申し訳有りません。そもそも場所を丹波篠山にして欲しいといった本人が行けませんでした。先方より「猪一頭用意していたのになぜ来なかったのか」というメッセージをいただきました。
○江渕会員 姉妹交流に行けなくて非常に残念です。ニコニコいたします。
ゲスト卓話
「留学が今生きていること」
ロータリー財団学友会員
大分合同新聞社 有田円香氏
本日はお招きいただきましてありがとうございます。
「月刊ミックス」編集部記者として、ただいま4年目を歩んでおります。主に教育記事が担当です。幼いころの夢だった“世界を飛び回るキャリアウーマン”ではありませんが“県内を飛び回る姉ちゃん”で毎日、充実した日々を送っています。
ロータリー財団の国際奨学生として渡米しましたのが、今から5年前になります。
ケンタッキー州のマーレー大学ジャーナリズム学科で1年間を過ごしました。人口2万人の小さな町。大学生がそのうち約8200人を占めます。
1.日本人が少ない所。
2.安全な所。
で選んだ大学でしたが、驚くことの連続でした。
米国といえば摩天楼の世界を想像していましたが、そこにあったのは、だだっぴろい、どこまでも続く平原でした。交通手段は何もありません。タクシー、バス、鉄道もない。車と自転車だけが頼みで
す。学生ですから、自動車などは買えません。買い物一つ行くのも大変だったことを思い出します。
娯楽施設もありません。映画館が一つあったでしょうか?
禁酒法を厳しく守る町だったことにも困りました。(今は解禁のようです)
お酒を飲んで、異国での生活でたまったストレスを発散! などもできませんでした。
そんな田舎町でさえも、麻薬常習者の逮捕、学生寮でのレイプ事件、盗み、放火、高校生が銃を乱射など
物騒なことはあっていました。
パトカーが構内をパトロールする風景におびえたりしていましたが、今や日本も学校で何が起こるか分かりません。真似なくていい所まで、日本は米国の真似をするのですね。
ジャーナリズム学科に所属していましたが、1年間の生活でジャーナリズムとは何ぞやなどは分かりません。
しかし、大切なことをたくさん学べたと思います。
あれほど勉強したことも、それまでの人生で無かったことです。
新聞記者だった教授が教える「ライティング」。
見出しが命だ。簡潔な文章が美しく、5W1Hをはっきりとと口をすっぱくして言う彼女の声が、今も原稿を書くときによみがえります。
小さな町なのに、ロータリークラブは活発でした。いろいろとロータリアンの方々が生活を支えてくれました。
食事に誘ってくれたり、買い物に一緒に行ってくれたり、ロータリアンの会合に出席して、大分県の話をする機会があったり。安心して生活できた1年でした。
留学が仕事に生きていることといえば、言葉があまり分からなかった分、相手が今、何を考えているのかを読む力が付いたと思います。「心を読む」訓練ができたと自負しています。
あとは、大胆になったことでしょうか。
聞きたいことは何でも聞いた方がいいし、言いたいことは何でも言った方がいい。そんなことを身を持って実感できたと思います。今後もがんばります。
(文責/足立)
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