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第640回例会 平成15年2月13日(木) 管理者 03/3/4(火) 18:32

第640回例会 平成15年2月13日(木)
 管理者  - 03/3/4(火) 18:32 -

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   第640回例会 平成15年2月13日(木)

◎本日の例会プログラム    ゲスト卓話「公共下水道事業について」
        中津市役所 下水道課 井上秀樹課長

    ○次回例会プログラム    ゲスト卓話「“相互理解”という重要性を体験して」
        国際奉仕委員会1996年国際親善奨学生 西本繭子氏

前回(639回例会)の記録 平成15年2月6日(木)

■ビジター
 中津RC 若松舜児君、中野登君
 中津中央RC 神本博志君

■出席報告
 会員数    34名
 免除者数    0名
 対象者数    34名
 本日出席者    26名
 欠席者数    8名
 出席率        76.47%

■前々回出席報告の修正
 前々回欠席者    14名
 メイクアップ    11名
 欠 席 者    03名
 修正出席率 58.82%→91.18%

●メイクアップ
 辛島、岩田、松本、岡野、渡辺、若松
 (中津中央RC)
 矢頭、出納、江渕、種村(中津RC)
 田原(宇佐2001)

●欠席者
 今吉、土居、小野

会長の時間
梶原清二 会長
 2月1日(土)スペースシャトル(コロンビア号)が、着陸直前テキサス州の上空で空中分解し、7人の尊い命が犠牲となりました。
 2回目の人が3人、初めての人が4人、女性が2人。4日ジョンソン宇宙センターで追悼式典が行われました。
 ブッシュ大統領は「わが家を目の前にしながらの悲劇だった。今回の悲劇だけでなく、7人の乗員の偉大な功績をいつまでも忘れない。すべての人類が彼らの恩恵を受けた」と哀悼の意を表明しました。また乗員の遺族に対しても「残された家族の悲しみは深いが、米国はその悲しみを共有する」と慰めの言葉をかけました。日本からは、3月に打上げられる予定だった「アトランティス」への搭乗が決まっていた野口聡一さんや向井千秋さん、毛利衛さんら5人の宇宙飛行士も参列し、同僚の死を悼みました。
 ブッシュ大統領は「米国の宇宙計画はこれからも続く」と明言し、今後もシャトル打上げを継続することを確認した。
 世の中の進歩発展は人類にとって素晴らしいことであり、歓迎すべきことではありますが、その陰には今回のような大きな犠牲を払わなければならないということを知らされました。7人のご冥福をお祈り申しあげます。

幹事報告
若松定生 幹事
●例会変更
 津久見RC(2/11法定休日)
●週報受理
 津久見RC、八代RC、仙台平成RC
●週報お礼
 壽崎肇PG、伊東真純PG、緒方基一PG
●幹事報告
○本日例会終了後、理事役員会開催

委員会報告
雑誌広報委員会 二反田会員
「ロータリーの友」2月号の内容について紹介したいと思います。まず18ページのほうに、西村駿一ガバナーが出席した座談会の様子が載っています。「変貌する国際社会とロータリー」というテーマで6名のガバナーおよびパストガバナーが座談会を行った内容が4〜5ページにわたって載っています。同じく33ページのほうなんですが、「地区のたより」の中で、第2720地区の別府中央ロータリークラブの鳴海会員の記事が載っています。最後のほうにもまた西村ガバナーの「我が地区自慢」の記事が載っていますので読んで頂きたいと思います。その他としましては、もうすぐロータリーが100周年を迎えることから、44ページに100周年実行委員長のクリフォード・ダグターマンという方が「ロータリー100周年を目指して」という題で載っています。また次のページには、「ブリスベーン国際大会のご案内と日本人親善朝食会へのお誘い」ということで、広告のほうも載っています。年次大会参加旅行として、「大会参加とシドニー6日間」とか同じくメルボルン6日間とかのツアーもあるようで、参加したい方は、参考になると思います。

ニコニコボックス
○若松ビジター会員 所用があり宇佐まで出かけており、出席が遅くなってすみません。お詫びのニコニコをさせていただきます。
○田原会員 1月欠席が続きまして、みなさんにご迷惑をおかけしました。クラブ協議会も欠席させてもらいました。実は、父が正月に呼吸困難になりまして、精密検査の結果、喉に腫瘍が出来ていてそれを手術で全部取りました。気道も全部ふさいで喉に穴を開けたりしまして、もう声が出ないということで、今迄一緒に仕事をしてもらっていましたが、もう仕事が出来なくなりました。仕事では父に頼っていたものですから、仕事が大変になりまして、例会に出る事が出来ませんでした。これからも仕事が出来ない父をかかえて「大変だなあ」と思いますし、また例会に出れない事も多くなると思いますが、よろしくお願い致します。
○辛島会員 何か、ニコニコのネタはないかと考えていましたら、バッジをつけてくるのを忘れました。最近はあんまり変わった生活をしていませんので、時々バッジを忘れてニコニコしたいと思います。
○出納会員 最後に私がニコニコさせてもらいます。

ゲスト卓話
「本物の復元を目指して―中津城の調査報告―」
中津市教育委員会 高崎章子主査
 中津市では国土交通省「まちづくり総合支援事業」の一環として、中津城本丸と三の丸の間の塀と石垣を整備する事になりました。中津市都市計画課は平成13年秋より石垣の工事にとりかかりました。あわせて中津市教育委員会文化財係は石垣の調査を行いました。
 1587年、秀吉の九州平定のため、黒田孝高は豊前に入り、1588年、中津城を築城しました。調査の結果、中津城の石垣は築城当初のものである可能性が非常に高いことがわかりました。同時期に造られた他の城は後に壊れてしまったことから、中津城は九州最古の近世城郭であり、石垣はその時代のものとしては良好に残存する唯一のものであることがわかりました。

中津城築城の歴史
1587(天正15)黒田孝高(如水)が豊前六郡12万3000石の領主として入国。
1588(天正16)黒田孝高が中津城の造営を始める。
1600(慶長5)細川忠興が豊前一円及び速見、国東ニ郡の39万9000石の領主として入国。
1602(慶長7)小倉城の造営を始める。忠興小倉城に移る。
1603(慶長8)細川忠興が中津城の改修を始める。1620(元和6)年までかかる。
1607(慶長12)西門を含む三の丸が完成。
1620(元和6)忠興が隠居。家督を忠利に譲り、忠興は中津城へ入る。細川時代の中津城整備完成。
1632(寛永9)小笠原長次が中津6万石の城主として入国。
1652(承応1)このころ中津城下の整備がほぼ終わる。
1683(天和3)城門、櫓の普請を行う。
1717(享保2)奥平昌成が中津10万石の領主として入国。
1863(文久3)城内に「松の御殿」を築く。
1871(明治4)廃藩置県(中津城廃城)。

金箔瓦出土
 堀の調査中、金箔をはった瓦片が出土しました。瓦は鬼瓦の周縁部にあたり、九州では9箇所で出土しています。県内では2例目、城郭出土としては初めてです。
 金箔瓦は、信長が安土城に使用したのが始まりです。当初、安土城と信長の息子達の居城にしか使用が許されませんでしたが、秀吉が政権をとった天正後期から、秀吉の居城とそれをとりまく大名屋敷に使用されました。また、秀吉の子飼いの大名の居城にも使用されましたが、秀吉没後、急激に減少しました。
調査の概要
 中津城の築城当初はどんな姿だったか解明するため、石垣の上や裏側などで、発掘調査を行っています。
 二の丸から本丸に入る椎ノ木門近くで、大型の礎石が見つかりました。最大径1.6m、厚さ0.7mの巨大な石を柱の土台にした建物とはどんな大規模なものだったのでしょう。建物に伴う石列もあり、小幡英之助の銅像の下が建物の中心だったようです。建物の時期は江戸時代初期かそれ以前に遡る可能性があり、初期の中津城を知る上で、貴重な資料です。
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