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第652回例会 平成15年5月15日(木)
◎本日の例会プログラム 職場訪問例会『大分県立工科短期大学』
○次回例会プログラム 向笠公園清掃例会
前回(651回例会)の記録 平成15年5月8日(木)
■ビジター
中津RC 若松舜児君
■出席報告
会員数 34名
免除者数 0名
対象者数 34名
本日出席者 31名
欠席者数 3名
出席率 91.18%
■前々回出席報告の修正
前々回欠席者 07名
メイクアップ 04名
欠 席 者 03名
修正出席率 78.79%→91.18%
●メイクアップ
永松(達)、岩田、矢頭(地区協議会)
梶原(中津中央RC)
●欠席者
白石、種村、永松(孝)
会長の時間
会長 梶原 清二
先週と先々週と2回にわたり小川副会長さんに代行していただきありがとうございました。
さて、今月は向笠公園の清掃例会が予定されています。そこで向笠先生について話をしてみたいと思います。私が小学生の頃、まだ戦後そう何年も経っていない頃の夏休み、兄と2人で公園地の汐湯の2階風呂によく行ったものです。
家までの帰り道、兄はシューベルトのセレナーデや魔王などを歌ってくれました。私と兄は12歳離れていましたので親と子供のようでした。今思えば兄は旧制の高等学校の生徒であったように思います。
その兄が向笠先生の話をよくしていました。若人に夢と希望を与えてくれる素晴らしい文化人、そして先生のお宅は文化の香りが高いサロンであったと。
医者としての才能は皆さんご存知の通りです。職業を通して社会に貢献したお手本を私達に示して下さいました。
RIの会長をされたのはムベなるかな。そして中津から輩出したのは誇り高きことであると同時に顕彰していかねばと再認識した次第です。
平成3年8月22日。87回例会のゲスト卓話で話された向笠先生の話を紹介しますと、1956年友人の眼科医に薦められてロータリーに入会。「有意義な特別な世界を与えてくれた」と申されております。後年RIの会長になられたとき「人類はひとつ」というテーマを発表された。その第一の理由は、白人であろうが黒人であろうが一属一種ホモサピエンスである。その第二の理由は、病気についても同じことが言える。日本もドイツもオランダもどこの国で調べようと精神分裂病は1000人中8人、そううつ病は4人、てんかんも大体おなじ4人くらいで同じ。その第三の理由は自分という人間から10代遡れば1000人のおじいさん、おばあさんが存在する。20代前になるとなんと100万人になる。これは疑うべからざる事実である。30代前、40代前になると、それが1000倍ずつ増えていく。
ほんの70代か80代か前を遡ればあなた方は皆「いとこ同士」なのだ。
この話をRI会長になったとき向笠先生は当時400人くらいいたガバナー、ノミニーの方々に話されました。そして「あなたの周りに居るいとこさん達に挨拶をして下さい」と言いましたら、もう割れるような喝采がおこり、みんな立ち上がり「こんにちは、私はあなたのいとこです」と言って挨拶をかわしてくれたそうです。
今月の向笠公園の清掃例会に因んで話をさせていただきました。
幹事報告
若松定生 幹事
●例会変更
大分地区6RC
●週報受理
仙台平成RC、中津RC、津久見RC
●幹事報告
○ロータリー米山記念奨学会より寄付金納入明細表
○例会終了後、定例理事会開催。
●理事会報告
親睦委員会より2件。議題提出があり、いずれも承認。
○6月22日(日)日帰り家族バス旅行実施。
6月19日(木)の例会変更とする。
○6月26日(木)は最終例会につき、夜間例会へ変更。
委員会報告
永松出席委員長
誕生日にワインを出していましたが出さない事にしました。
白石親睦委員長
6月22日親睦の日帰り旅行を計画中です。
足立会計
4月〜6月の会費を徴収します。
池中職業奉仕委員長
次回例会は大分県立工科短期大学です。
小川クラブ奉仕委員長
5月29日(木)は夜間例会です。
二反田雑誌委員
「ロータリーの友」でポリオ・これでいいのか日本の食について報告。
誕生日
渡辺会員・梶原会長です。
ニコニコボックス
○梶原会長 誕生日プレゼントありがとうございます。
○永松(孝)会員 久しぶりのホーム例会出席です。
○矢頭会員 司法書士の研修を岡野会員の下で実施中。
○岡野会員 司法書士の勉強の講師になっております。
○若松舜児会員 健康診断をしてまいりました。
○重松会員 5月18日(日)雅楽のコンサートに良かったらどうぞ。
ゲスト卓話
「八面山にまつわる歴史」
三光村教育委員会 平田 由美
八面山…山岳信仰で有名な宇佐・国東と英彦山・求菩提山などの山々のほぼ中間にあり、耶馬溪溶岩台地の最北東部に位置する、豊前北部を代表する古代からの霊山。
○大正12年、国指定名勝耶馬溪に指定。
○昭和25年、耶馬日田英彦山国定公園に指定。
○山頂には箭山神社があり、北側には猪山八幡宮、北西側には斧立八幡宮が鎮座。
八面山の歴史…6世紀末〜7世紀初頭…山頂の巨石群で、須恵器片を確認
○9世紀末〜10世紀前半代…巨石群を中心に、周辺にある窟の信仰が成立(信仰形態が大きく拡大)
○八面山修験道の成立…金色地区の妙見窟では9世紀末〜10世紀初頭の土師器が多数出土している
○経塚…平安時代後半、末法思想の風潮により各地に経塚が多くつくられる
三光村 山下経塚…康和4年(1102)
保安元年(1120)の銘
○12世紀前後…八面山大日寺(天台系寺院)を中心として、多数の坊が成立
※11世紀の遺物は今のところ確認されていない。
大宝元年(西暦701年)2月15日に僧・法蓮によって箭山神社が創建…「八面山縁起」
11世紀…八面山中腹、櫟木谷に八面山大日寺が建立。
○江戸末期の記録である「八面山巡拝次第記」によると、華厳が八面山の聖母大権現に仕え、大日如来を崇拝し、大日寺を開基したと伝えられている。
仁平3年(西暦1153年)…智然によって峰入が開始。
○弘化2年(西暦1845年)最後の峰入となった智淳まで、19回執行。
○峰入は、箭山神社から鷹石、犬石、和与石などを巡拝し、大日寺に帰る8泊9日の行程。
明治5年(西暦1872年)…修験道廃止令によって八面山修験も完全に消滅。
八面山という山は、ふもとの人々にとってどのような山であったのか。
古来から里近くの鬱蒼と茂った丘、美しい形の山岳、噴煙を噴き上げる火山などの山岳が霊地として崇められた。当初は自然崇拝であったが、やがて山岳は精霊や神々の住む霊地とする信仰へと発展した。
また定住し農耕生活をいとなむ古代人にとって、山岳は水の供給地で、草木・薬草・鉱物などの生活資源を提供する宝庫であった。
さらに山頂からの突風、火山の噴火、山中の気候変化による遭遇など、山岳は災害をもたらす存在であった。
八面山は水に対する信仰のシンボル…八面山のふもとの地区は、大きな川がなく農業用水はそのほとんどをため池によってまかなっており、その水を恵んでくれる山は信仰の対象となる。
○八面山…中津市にある薦神社の奥の院。
○薦神社…水の神様で、池が内宮、社殿が外宮。
昔はその薦神社の池につながって、転々と池や水路が作られていた。
水に対する信仰の遺跡
○成恒笹原遺跡…八面山のほぼ北側、成恒地区の低位丘陵上に位置。遺跡の標高は約43m。周囲の平野部との比高差は約10m。
○1基の祭祀土坑を検出…丘陵頂部からやや東側の斜面に位置し、東西幅約8m、南北幅約4m、深さは最も深いところで約1.5mを測る。土坑の床面はほぼ平らで極めの細かい砂の層。
○出土遺物…約350点のミニチュア土器。時代は、4世紀後半から5世紀初頭。
○瑞雲遺跡…4つの巨石をL字状に配置した、いわゆる盤座と呼ばれる遺跡。
出土遺物…8世紀後半と思われる甕の破片。
9世紀後半〜12・13世紀ぐらいの青磁皿など。
(文責/熊谷)
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