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第593回例会 平成14年2月21日(木)
○次回例会プログラム 夜間例会「ギターの夕べ」
◎本日の例会プログラム
会員卓話「ロータリー創立記念日にあたって」
辛嶋ロータリー情報委員長
前回(592回例会)の記録 平成14年2月14日(木)
■ゲスト 立命館アジア太平洋大学(APU)
シリーラム・チャンドラ氏
メヘタ・ムックル氏
■ビジター
中津RC 江副綏人君
中津中央RC 安田雅豊君
■出席報告
会員数 35名
免除者数 1名
対象者数 34名
本日出席者 24名
欠席者数 10名
出席率 70.59%
■前々回出席報告の修正
前々回欠席者 8名
メイクアップ 4名
欠 席 者 4名
修正出席率 76.47%→88.24%
●メイクアップ
辛嶋会員(中津RC)
小川会員、江渕会員、種村会員
(中津中央RC)
●欠席者
合田会員、永松(孝)会員、岩田会員、
田原会員
会長の時間
久恒眞一 会長
皆さん今日は、2月23日はロータリークラブの初めての会合が開かれた記念日で、2月は「世界理解月間」になっております。この事は1992年の規定審議会で採択をされております。各ロータリークラブにはこの月を国際理解と友情と平和へのロータリアンの献身について強調するように要請されています。国家間の平和の基礎と国際理解と親善を鼓舞、育成することが望まれています。具体的には以下の活動が示されています。世界社会奉仕、現物拠出情報ネットワーク、世界社会奉仕人材ネットワーク、災害救助、人道的援助、飢餓救済、ロータリー友情交換、国家間の連合会、国際共同委員会、ロータリー親睦活動などです。
また、新世代の健全な育成のためにロータリープログラムとして交換学生制度があります。日本独自の財団としては米山記念奨学会があり、毎年1,000人の来日留学生に対し奨学金を支給し、大きな業績を残しております。
さらに、本年からは21世紀の世界平和推進者を養成する企画、国際問題研究のためのロータリーセンターが始まります。世界の7センター8大学で、合計70人がロータリー世界平和奨学生として大学院で2年間勉強します。日本では、国際基督教大学が10人の日本人以外の学生を受け入れます。このロータリーセンターは近未来の世界理解と平和に大きく貢献することが期待されています。
これで会長の時間を終わります。
幹事報告
若松副幹事
●例会変更 なし
●週報受理 熊本平成RC、本渡中央RC
●ROTARIAN(英語版)
●菊池RCより
4月6日(土)創立30周年記念例会及び記念式典の案内が来ています。
委員会報告
・国際奉仕委員会 小野委員長
今日は、アジア立命館大学のチャンドラ君とムックル君に卓話をお願いしています。留学生から見た日本の感想を本音で話してくれる様にお願いしています。また例会終了後には、中津城、福沢旧邸にご案内したいと思っています。
ニコニコボックス
○種村会員 久しぶりにホームクラブ出席しましたので。それと今日はAPUの留学生の方、ようこそ。私も立命館大学を出ました。それと息子も立命館の経営学科に行っていますので。
○江渕会員 私も久しぶりのホームクラブ出席です。それと先週住宅の展示会をしましたが、沢山の方が来てくださったので。
○久恒会長 今日は、チャンドラさん、ムックルさんよくいらっしゃいました。
卓話を楽しみにしています。それと、出席率が低下気味で、修正で80%代と言う事で気になっています。出席率の向上にご協力お願いします。
○若松会員 今年も中津のひなまつりが、2月17日から3月17日まで開かれます。今年は依頼が有り、諸町の我が家の母屋で、雛人形を飾っています。
末娘の馬人形のコレクションも一緒に展示しています。どうぞおこしください。
○向笠会員 中津医師会が、私のレリーフを造ってくれ、玄関に飾られました。
私としては、少し気恥ずかしいことでありますが、この先ずっと飾ってくれると思います。その祝賀会も計画されているそうなので。
○小野会員 久しぶり朝早起きをして、アジア太平洋大学まで行ってきましたので。
ゲスト卓話
『留学生から見た日本』
立命館アジア太平洋大学
シリーラム・チャンドラ氏
皆さんこんにちは。私はシリーラム・チャンドラと申します。今日は日本についての自分の考え方や意見を述べるチャンスを与えて頂き心から感謝しています。元々我々の立命館アジア太平洋大学の成立の背景には、日本と世界中の国々とより深い理解と、友好関係を作り、別々の背景、文化を繋ぐ目的で創られました。別府市の親切な皆様のお陰で日本式の生活も経験できるし、皆さんと長いお付き合いをする事も出来ます。今日のスピーチで私は日本の文化、経済、外交及びアジアでの将来の発展について自分の意見を申し上げたいと思います。
私は1981年に両親と一緒に1歳の時に日本に来ました。父は外交官なので、仕事の関係で84年まで東京にいました。赤ちゃんだった私にとってその時の思い出は全然有りませんが、日本滞在の経験は私に大きな影響を与えました。母は2年間、四谷に有る国際日本語センターで日本語を習いました。そしてインドに帰ってからも日本語を習い続けました。母は5年間ニューデリーのニヘム大学で日本語の学士と修士をもらいました。それだけでなく日本の生活の影響は私の学生時代の生活にも大きな影響を与えました。昼ご飯はインド的で、晩ご飯は日本の味噌汁、すし、てんぷら等を毎日食べました。特に友達の家に行き、ご飯を食べる時、お箸を使うよりフォークを使う方がおかしく感じました。そして、家の中に靴をはいたままはいる事は考えられません。私達は色々な面で日本的な家族になったようでした。小さいときから日本に対する興味がだんだん強くなって来ました。タイム、ライフの歴史の本で見た第2次世界大戦の写真の中にあった、ガダルカナル島で死んだアメリカ軍人のかぶったヘルメットのピストルの穴、イギリスの軍人が頭の上に乗って、首を切られた写真、恐ろしくもまた美しい広島に出来たマッシュルームの雲、そして黒いも服を着てないている日本人達など、これらのイメージが頭に残っています。マレーのアメリカン学校を卒業してから、私の最初の家である日本に帰って勉強する事は私にとって避けられないことであり、私の望でもありました。
日本で勉強してもう1年が経ちました。外国人にとって日本人はあまりにも丁寧なので、外国人は困ってしまいます。普通は本音よりも建前の方が強いので、本当に日本人が考えている事が解らないところがあります。日本に来ている外人に本当に自分の家に居るような気持ちにさせる事は難しいです。日本人の丁寧さは日本人と外国人の間に逆に壁を作ってしまう。外人は日本で歩いたり、物を見たり、触ったりしていますが本当に日本の空気を吸う事は出来ません。日本人が外人と会う時には、まず日本人が自分の回りに壁を作ってしまって外国人が入れないようにしてしまいます。日本人と外人で、日本人と外人が会うという場合の歌舞伎を演じているようです。この感じが外国人とフリーに接することを妨げています。特に毎日の付き合いにおいて個人的に長い関係を続けていく上において、フランクに話し合うことの出来る関係を妨げています。しかし学生として私達も日本人といい関係を続ける上で、僕達に持っている不必要な恐れを取り除かなければならないし、日本人と友達になる為に一生懸命努力して、お互いの異なった価値観、倫理観を理解しあるようになりたいです。
日本に滞在している間に、日本人の倫理観に非常に驚いた事があります。それは、我慢というその強さとその質についてです。その我慢は日本の社会のベースです。日本の会社員が示すその我慢は非常に印象的です。彼は非常に会社に貢献して働きます。日本人は世界で一番働き者です。自分の働いている会社に対する誠実さ及び会社に対して尽くしている姿は驚きます。これが日本の力であり、未来においても同じ事でしょう。アジアのエコノミックパワーとして台頭してきた日本を理解する為には、日本人が質と詳細に重点を置いている事は驚きです。こう言う自主性における日本人のセンサーはインドなどの他の国々を遥かに凌いでいます。これが日本の敗戦で何もない所から、70年代、80年代の記録的に成長した開発モデルを理解しようとしています。世界中に日本の製品が一番良いという評判があります。現在は日本経済は大変な状態にあります。1910年代はあまり良くなかった。1992年には成長は1%くらいだった。大変な不景気が来るでしょう。失業率は1番高いです。大きい負債は日本の銀行制度に大きい影響を与え、この状態はしばらく続いています。私の考えでは、日本経済はきっと回復するに違いありません。何故かというと、日本には成長の為の素質があるからです。例えば、高い就職率、高い教育程度、献身的な社員、技術革新、高品質な製造などです。大きな問題はそれがいつ起きるかということです。その為に小泉内閣は構造的な改革が必要だと思います。この改革を政府が保証することが出来るなら、逆に日本とアジアの経済が明るくなる可能性があります。日本は世界中の為に、経済的にも、政治的にも大事な国だと思います。アジア太平洋地域の平和を維持する為にも日本は重要な国だと思います。タカ派的な中国とか他の国々に対して、未来の平和の為に、インドを含む他のアジアの国々と一緒に働く必要があります。日本はアジアにおける経済と安定の中心で有り続けるでしょう。インド人として、日本の人と一緒に経済、防衛、環境などの分野で働かなくてはいけないと思います。ご清聴ありがとう御座います。
立命館アジア太平洋大学
メヘタ・ムックル氏
皆さんこんにちは。私はインドから来ましたAPUの学生です。宜しくお願いします。あまり日本語できないので、言いたい事が伝わるかどうか判りません。簡単に自分の感じた事を説明したいと思います。
私はインドのデリー大学を卒業しました。叔父は東芝とビジネスしていましたが、言葉の問題と、インド人と日本人の考え方の違いが有って止めました。私も2年間叔父と一緒に仕事をし、日本語を学ぶと同時に、日本人の勤勉さを感じました。それで私は日本について興味を持ち、日印親善協会という日本語学校で日本語を習い始めました。最初に漢字はとても難しかったけど、だんだん好きになりました。その時APUの事を聞き、日本に行って実際の日本社会に接して学んだ方が良いかなと思って、日本に来ました。
留学生にとって日本で勉強するのは、難しいと思います。何故かというと日本は豪華な国で、衣食住すべてが高いからです。APUではほとんどの学生は、奨学金を貰っているので、60カ国以上の国の学生が一緒に勉強しています。それぞれ自分の国の文化や宗教を持っていて、一緒に勉強することは大変なことも有るけれど、心を開いてお互いに尊重しあえば、それぞれの文化や宗教のいい所を得ることが出来ます。APUでは自由にインターネットを使えるし、10ヶ国以上の学生が一緒に勉強しているので、色々な所から情報を得ることが出来ます。
次に別府の印象ですが、将来もっとレベルアップできると思います。今まで温泉ばかりが注目されていましたが、APUが出来てから、色々な国から人が集まり、日本の学生は英語を学び、留学生は日本語を学び、それぞれ語学力を伸ばしています。その学生達が卒業したら、日本や海外で活躍し、その国々のレベルアップに貢献できると思います。だから政府も企業も期待しています。日本に来て始めて雪が降ったとき、私はAPハウスというAPUの寮にいて、雪を見たことのない学生は感激し外に出て、一晩中楽しんでいました。1年間APハウスで色々経験しましたが、「郷に入ったら郷に従え」という言葉を信じていて、実際の社会に住みたかったので、今は亀川という所にアパートを借りて友達と一緒に住んでいます。今実際の日本社会に居て、例えばシリアム・チャンドラーさんが言った通り、建前と本音という色々な経験をしています。でもまだまだ日本人の考え方は難しいです。
次に大分の印象は、別府より都会的だと思いました。また平松知事がAPUにいらして会食をした時、1村一品の説明を聞き、その事はとても良い事だと思いました。
私の日本についてのイメージは、インドに居る時と日本に来てからとは全然違っていました。インドで日本語を習っていた時、大きな建物や、新幹線、侍、芸者に富士山の印象が強かったけど、今別府は新幹線もないし、富士山も見えないし、侍もいませんでした。その上日本人は西洋の影響を良く受けていると思います。第2次世界大戦から今まで経った55年間にそんなに発展した国は他に有りません。最近の日本は、伝統的な習慣があるばかりではなく、技術的に発展した物との良い組み合わせだと思います。例えば、日本人はお正月に神社に言ってお参りをし、除夜の鐘を聞きながら、新しい年を迎え、雑煮やおせち料理をご馳走する。一方で、朝起きてから夜寝るまで、ほとんどの事は機械を使ってします。昔は人間がやっていたほとんどの事をロボットが出来るようになりました。
インドと日本の似ている所は、年上の人を尊敬している所や、礼儀正しい所や、周りの人に気遣う所だと思います。また日本人は親切で、困っている人を助ける敬愛の心があります。日本はアジアの中にあり、文化や宗教が近いと思いますし、アジアの国々に援助をしていますが、今の日本の文化は、アメリカやヨーロッパにあこがれている様に思われます。日本は一方的な援助だけでなく、文化的な交流が出来ればもっといいと思います。
私が日本に来てから感じたのは、日本の英語と、コンピューターの教育レベルが余り高くないということです。日本は島国なので、外国との交流が少なく、内向的に思われます。日本の学生は、体育や音楽や色々な事を学んでいるし、勤勉だから、もし英語やコンピューターの教育にもっと力を入れれば、世界でも優秀な人材になると思います。日本に来てから強く感じた事は、インド人と日本人の考え方の違いです。日本人は、自分の思ったことをすぐに言葉にする人が少ないです。しかしインド人は思ったことや、意見をすぐに言います。私は実際の日本社会で日本人と一緒に勉強し、働き日本人の性格を理解し、インドと日本の両方の面を知るインド人として日本とインドの掛け橋の役割を果たしたいと思っています。以上です。ありがとう御座いました。
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