|
第607回例会 平成14年6月6日(木)
◎本日の例会プログラム 会員卓話 今吉会員
○次回例会プログラム (株)三菱電気ライフファシリテーズ九州社
商品冷熱営業部部長 高橋昭信氏
「太陽光発電システム」
前回(606回例会)の記録 平成14年5月30日(木)
■ビジター
なし
■出席報告
会員数 35名
免除者数 0名
対象者数 35名
本日出席者 23名
欠席者数 12名
出席率 65.71%
■前々回出席報告の修正
前々回欠席者 3名
メイクアップ 3名
欠 席 者 0名
修正出席率 91.43%→100%
●メイクアップ
松本(中津RC)
小川、渡辺(中津中央RC)
●欠席者
なし
会長の時間
久恒眞一 会長
皆さんこんばんは、いよいよ明日からワールドカップが開幕になります。6月中は仕事にならないぐらいテレビに釘づけになるのではないでしょうか。日本選手に頑張ってもらって決勝トーナメントに進出してもらいたいと思います。
本日は委員会引継ぎのクラブフォーラムとなっております。申し送り事項等いろいろあると思いますのでしっかり引継ぎをお願いしたいと思います。これで会長の時間を終わります。
前回の記録
606回例会
●夜間例会 クラブフォーラム
委員会の引継ぎ
幹事報告
二反田新一 幹事
●例会変更
大分臨海RC 6/10→休会
大分RC 6/11→休会
大分城西RC 6/12→休会
大分東RC 6/13→休会
大分1958RC 6/17→18:30〜
にし岡「親睦例会」
大分城西RC 6/19→18:30〜
ワシントンプラザ銀座
「感謝の夕べ」
大分東RC 6/20→18:30〜
丸福「夜の例会」
大分南RC 6/21→18:00〜
大分東洋ホテル
「さよなら例会」
大分RC 6/25→18:00〜
大分東洋ホテル
「さよなら例会」
豊後高田RC 6/4→12:00〜
土屋組「田植え例会」
6/25→18:30〜ひまわり荘
「夜間最終例会」
7/2→休会
「韓国:海雲台RC訪問」
●週報受理
豊後高田 宇佐2001 各RC
委員会報告
若松次期幹事
マルチブルのメダルが届きました。
加来会員、小野会員、今吉会員、若松会員です。活動計画書を早目に提出お願いします。
ニコニコボックス
○久恒会長 久々に100%になりましたので。
○梶原会員 委員会の引継ぎをよろしく。
○向笠会員 医師会の総会と例会の掛け持ちです。
○加来会員 先週、先々週と2回続けて東京に行きました。
○若松会員 3人がポールハリスに、再度が5人、準フェローが2人ご協力ありがとうございます。
○小野会員 マルチブルになりましたので。
クラブフォーラム
○若松次期幹事 只今から新旧委員会の引継
ぎを行ってください。
『ロータリー情報』
「ロータリーとは何か、その率直な疑問」を主テーマとして実施することになり、私は1987.1.25開催の国際ロータリー第272地区、熊本県北部、東部両分区I.G.F.のカウンセラーおよびアドバイザーを姫野ガバナーから委嘱された。
依って私は古い「小田メモ」を引っぱり出してあちらこちら拾い読みして頭を整理していたところ、ふと気付いたことは、これをひとまとめにすればあるいは今次のI.G.F.出席義務者(入会2〜3年未満の会員)用手引として多少は役に立つかも知れないとの老婆心から、僭越とは思ったがこれをパンフレットにすることにした。その点諒とせされたい。
小田カウンセラーの事前準備
1.「ロータリーとは何か」を問う
前に是非とも頭に入れておかな
ければならぬこと
「ロータリー・モザイク」の著者ハロルド・T・トーマスはこう書いている:
『「奉仕の50年」が出版されて以来既に18年になる。この18年間、ロータリーにとってもロータリアンにとっても、移りゆく時の変遷に歩調を合わせることは容易ではなかった。すなわち、条件の変化に対応する必要、プログラムの発展、一部始終とその背景とを知っている古いロータリアンが次から次へと失われて行くこと、あるいはそれと同じように、次から次へと全世界の新しいクラブに新しく会員が入ってくる。等々の条件の下に時の移り変りに歩調を合わせることは容易なことではない18年間であった。
創生時代のことを直接その眼で見、それについて親しく身をもって経験を積んだ人たちは、もう多くは残っていない。それ故、それらの物語は是非とも語り継がなければならないのだ。
ロータリーが拡大され発展をした最近の18年間に責任ある立場にあった者なら誰でも、ロータリーの物語が再び書きおろされなければならないことを認めるに相違ない。この場合大切なことは、物語の内容は内部から見た方針とプログラムの進化の物語でなければならない。そして他のいずれの事柄にも増して大切なことは、物語の目的が、「なぜそう決められたか、なぜそうなったか」の理由といわれを、明確にする点に置かなければならないということである。』
2.ロータリーの発端
1905年2月、シカゴにおけるロータリー・クラブ第1号の出現は、どのような理由によるものか、これを知るためにはまずもって当時の環境を背景としてこれを観察し、理解しなければならない。
世紀の変り日頃のシカゴにおける実業界の情勢の冷酷さについてポール・ハリスは次のように書いている:
「超我の奉仕という標語はたわごととしか考えられなかっただろう。自己保全こそ第一だという方が受け入れられたであろう。」と。
その当時、シカゴにおいては、「商売に情けは無用」、「商売と友情は両立しない」、「商売は商売だ」といった諺が常日頃人々の口の端にのぼっていたとのことである。
「友愛と商売」の間には当然の溝が介在し、その溝は未だかって橋渡しされたこともなければ将来も橋渡しすることはできないものだということは、当時広く一般に受け入れられた信念であったとのことである。
ポール・ハリスの考えは、その溝は橋渡しをしなければならないし、又、それは可能だということであった。
そして彼は直ちに具体的に着手しようと決心した。彼は実業人と専門職業人との世界に友愛の結びつきを作ろうと企てた。彼は3人の親友に、もし一人ひとりの人間が友愛を築く機会をもっと多く持つことができたならば−特にその新しい友人が自分と異なった職業人であったならば−人生はそれらの人たちすべてにとってより良い人生になるであろうと説いた。ポール・ハリスの3人の友人は皆これに共感を示した。この4人の人たちが会員の中核体となり、かくして最初のロータリー・クラブが発足した。
ポール・ハリスの考えは間違いではなかったことがすぐ明らかになった。シカゴ市において組織された実業人と専門職業人の一団の間には、「友愛」と「親睦」と「相互扶助」が渾然一体となったエッセンスともいうべきものが見られた。この新しいクラブはまたたくまに繁栄し膨張した。
おそらくこの一団の人々は皆既に入会以前から、通常の人間は誰でも友達が必要だということと、親睦と善意と信頼との環境の下に最もよく働き、最もよく遊び、最もよく人生を生きるものだということを知っていたのかも知れない。この人たちは、一旦先鞭がつけられさえすればこの原理は誰でも一般普通の商売に従事する普通の人にも適用するのだということを覚らなかったに過ぎない。シカゴにおける「友愛と商売」の間の溝に架け橋をしたロータリーの驚嘆すべき成功は、他の地方における実業界に一つの模範を示した。かくして、より親しみやすい、より友好的世界のために、友愛の架け橋を築くことは爾来ロータリーにおけるわれわれの使命となったのである。
(文責/池中)
|
|